How do you
let him cry?




「お前、よくこんなところ見つけてきたな」
 ロイはそう言って目の前の建物を見上げる。月明かりの中黒々とそのシルエットを浮かび上がらせる古い洋館は、酷くおどろおどろしげに見えた。
「この間フュリーに聞いたんスよ。街外れに昔ホスピスで使われてた洋館があるって」
「ホスピスに?」
「ええ」
 ハボックは頷いてロイを見る。その黒曜石を覗き込むようにしてハボックは囁いた。
「出るらしいっスよ」
「えっ?!」
 低い囁き声にロイはギョッとして身を強張らせる。そんなロイにハボックはにっこりと笑って言った。
「でも、大佐は幽霊なんて信じてないから怖いことないっスよね」
「あっ、当たり前だろうッ!!」
 ハボックの言葉にロイは胸を張って答える。笑みを浮かべる唇の端がヒクヒクとひきつっているのは見ないふりでハボックは言った。
「さすが大佐っスね。オレなんて結構ビビってるのに」
「そ、そうなのか?」
「やっぱ科学者は違うっスねぇ」
「当然だ」
 もしかして少しは怖がってもよかったのかと思いつつ、ロイは怖がる素振りは見せずに言う。ハボックは肩にかけていたバックから小さなコムを取り出した。
「これ、つけて下さい。悲鳴上げたりしたら即判りますからね」
 そう言いながらハボックは一つをロイに手渡しもう一つを自分でつける。それから大きな手のひらをロイに差し出してにっこりと笑った。
「で、そいつはオレが預かるっス」
「そいつ?」
 言われてキョトンとしたロイは次のハボックの言葉を聞いてギクリとした。
「発火布」
「えっ?!」
「恐怖のあまり指パッチンされたらかなわないっスから」
「そんなこと私がするわけないだろうッ!」
 内心発火布があれば何があろうと安心だと思っていたロイは、顔をひきつらせて叫ぶ。なんとか渡さずに済ませる方法はないかと必死に頭を巡らせていたロイは、続くハボックの言葉にピクリと眉を跳ね上げた。
「まあ、大佐がどうしても発火布ないと怖くて堪らないっていうなら持っててもいいっスけど」
「そっ、そんな事、私に限って有り得んなっ」
「じゃあ、預かっても問題なし?」
「無論だッ」
「そうっスか」
 ロイの言葉にハボックは改めて手を差し出す。ウッと詰まりながらもロイは隠しから発火布を取り出しハボックの手のひらに載せた。
「確かにお預かりします」
 ハボックはにっこりと笑って発火布をしまう。発火布の代わりにロイの手に一枚の見取り図を載せてハボックは言った。
「これ、建物の見取り図とライトっス。三階建ての各階のチェックポイントにオレの煙草が置いてあるっスからそれを全部回収して、最後に院長室に置いてあるオレのライター取ってきて下さい」
「ライターだけ取りに行くんじゃないのかっ?」
「それじゃあ、つまんないっしょ?」
 ハボックはさも当然というように言う。
「ちょっと仕掛けもしときましたから。まあ、どうしても怖かったらコムで呼んで下さい。すぐに助けに行ってあげますよ」
「ふ、ふんっ、お前の仕掛けなんてどうせ子供だましだろう。待っていろ、あっと言う間に取ってきてやる」
「期待してるっス」
 ロイが言えばハボックがにっこりと笑って手を振る。せめて入口まで送ってくれないのかと思いながらも、ロイはハボックに背を向け歩きだした。洋館の扉の前に立ち、ハボックをチラリと振り返る。夜目にも明るい金髪が酷く頼もしく思えて、一緒に来てと思わず言いかけた言葉をロイは必死に飲み込んだ。
「行ってくる!」
「行ってらっしゃ〜い」
 わざと大きな声でそう言ってみたが薄情な恋人は笑って手を振るばかりだ。
(くそう、ハボックの奴!後で絶対燃やしてやるッ!)
 素直に「オバケ、怖い」と認めればこんなことはせずに済むという事実には目を瞑って、ロイは古い洋館の扉を押し開けた。


 洋館の扉を開ければそこは広いホールになっていた。ロイはゴクリと唾を飲み込むとゆっくりと足を踏み入れる。扉から手を離せば重い扉はギギギと音を立ててゆっくりと元の位置に戻っていき、ガチャリと閉まった。
(まっ、まさか二度と開かないなんて事はなかろうな……)
 そのあまりに重苦しい音に思わずそんな考えが浮かんで、ロイは慌てて首を振る。ロイはライトで地図を照らすと最初のチェックポイントを確認した。
(ええと……ホール右手の扉から入って三つ目の部屋だな)
 ロイは地図に当てていたライトの光を上げてホールを照らす。そうすれば埃を被った置物や花瓶に活けたまま枯れた花が濃い陰影を纏って浮かび上がった。
「ッッ!!」
 その奇妙なおどろおどろしさにロイは上げかけた悲鳴を飲み込む。ライトを動かせば陰の中に踊る光がかえって闇を強調するようで、ロイは慌ててライトを消した。
「くそ……もっとこう、部屋中が明るくなるようなライトを寄越せというんだ」
 ロイは目が元の暗さに慣れるのを待ちながら忌々しげにそう呟く。やがて暗闇に目が慣れると、ロイはホールから廊下に出るための扉に向かって歩きだした。
 扉を開ければ細い廊下が伸びている。ロイは廊下の先を伺うように見つめていたが、ゆっくりと歩きだした。カツーンと廊下に靴音が響いてロイはピクリと口の端をひきつらせる。それでも足を止めずに歩けば、不安に心臓がドキドキと鳴る音が頭の中で鳴り響いているように感じられた。
 カツーン、カツーン。
 薄暗い廊下にロイの靴音が響く。たった三部屋分の距離が酷く長く感じられて、ロイは目指す部屋に永遠につかないのではとさえ思った。
(なにを馬鹿な事を考えてるんだ、私はッ!ただの薄暗い廊下じゃないか!)
 ロイはビクビクしている自分を内心叱咤しながら廊下を歩いていく。ようやく目指す部屋の前に辿り着き、ロイはほっと息を吐いた。
「この部屋の煙草を取ればいいんだな」
 なんだ、意外に大したことなかったとロイは扉に手をかける。扉を開けて足を踏み入れたその時。
 踏み込んだ床がいきなりぬぷんと沈む。足首までひんやりとしたゼリー状のものに埋まって、ロイは上げかけた悲鳴を手のひらで覆って封じ込めた。
「ッッ!!……ッッ!!」
(びっ……びっくりしたッッ!!)
 ロイはバクバクと鳴る心臓を必死に宥めながら足下を見る。部屋の扉を入ったすぐの場所になにやらプルンとしたゼリー状のものが敷き詰めてあるのを見て、ロイは眉を顰めた。
「ハボックの奴……」
 暗いところでいきなり足下が怪しくなれば悲鳴の一つも出るというものだ。
「後で絶対燃やすからな」
 コムに向かってそう囁いて、ロイはゼリーの中から足を引き抜いて中に進み、一つ目の煙草を手に入れた。


「なあんだ、悲鳴上げるかと思ったのに」
 ハボックはコムから聞こえた物騒な囁き声に苦笑しながら呟く。時折コムから聞こえる声にならないロイの悲鳴を楽しんでいたハボックは、短くなった煙草を携帯灰皿に入れ新しい煙草に火をつけた。
「まあ、まだ先があるし」
 これからこれから、と楽しげに言って、ハボックは洋館を見上げた。