How do you
let him cry?




 ゴクリと誰かが唾を飲み込む。車座になって座った誰もが次の言葉を聞き漏らすまいと、自然と前傾姿勢になって真剣な表情で見つめてくるのをハボックはグルリと見回した。そうして誰よりも真剣な表情を浮かべてハボックは低い声で話を続ける。
「必死に目を凝らしてジャックは辺りを伺ったんだ。月明かりの中、怪しいものは何も見えない。ジャックはホッと胸を撫で下ろした。よかった、やはり気のせいだった、そう思ったジャックは帰ろうと足を踏み出した、その時───」
「何をしているんだ、お前たち」
「「「ッッッ!!!」」」
 ガチャリと執務室の扉が開いて顔を出したロイがハボックの言葉を遮った。その瞬間声にならない悲鳴を上げて部下たちがガタガタと椅子から落ちかける。椅子にしがみつくようにしてロイを見上げたフュリーが、裏返った声で叫んだ。
「脅かさないでくださいよッ、大佐ッ!!」
「あーっ、びっくりしたッッ!!心臓止まるかと思ったッッ!!」
「私は三秒ほど心臓が止まりましたよ」
 脅かすな、びっくりした、と騒ぐ部下たちにロイはムッとして眉間に皺を寄せる。それを見たハボックが苦笑して言った。
「クーラー代わりに怪談聞かせてたんスよ。今まさに、ってとこで大佐が声かけてきたから」
「私は幽霊じゃないぞ」
 ロイは眉間に皺を寄せたまま言う。妙に疲れた表情で肩を落とす部下たちを見回して続けた。
「大体もう昼休みは終わっただろう?おしゃべりはおしまいだ」
 そう言えば、ブレダたちがガタガタと椅子を自席に運び始める。それを見てやれやれとため息をついて、ロイはハボックに言った。
「コーヒーをくれ、ハボック」
「あれ?休憩時間終わったばっかっしょ?」
 それで早速コーヒーっスか?とニヤニヤと笑いながら言うハボックをジロリと睨んでロイは執務室に引っ込む。少しするとおざなりなノックと共に、コーヒーを載せたトレイを手にハボックが執務室に入ってきた。
「ご注文のコーヒーっス」
 ハボックは言いながらロイの前にコーヒーのカップをコトリと置く。ほんの少し不機嫌に見上げてくる黒曜石に、ハボックは笑って言った。
「怒んないでくださいよ、別に仲間外れにしてたわけじゃないんスから。ほら、今節電とかでエアコンの設定温度高いし、場所によってはついてないっしょ?だから少しでも涼しくなればって」
 昼休みも書類に追われていた自分の事を放って、楽しく皆で盛り上がっていた事にロイが腹を立てているのだと察してハボックはロイの髪を優しく撫でる。ロイは触れてくる大きな手を振り払ってコーヒーに手を伸ばした。
「いるはずもない幽霊を怖がるなんて馬鹿馬鹿しい。そんなので涼しくなれるはずもないだろう」
「おお、いかにも科学者の台詞」
 おどけた調子で言うハボックをロイは睨みつける。普通の人間ならそのあまりの苛烈さに怯んでしまうであろう眼光を、ハボックは容易く受け止めてロイの頬を撫でた。
「大佐は幽霊とか信じてないんスか?」
「当たり前だ。科学的根拠もないものを恐れてどうする」
「その割にこの間ホラー映画見てる間中オレの腕、掴んで離さなかった気がするんスけど」
「あれは単に気持ち悪かっただけでッ」
 数日前、たまたま二人揃って早く上がれた夜、通りかかった映画館に入ったところ、かかっていた映画はそのタイトルからは想像がつかないようなホラー映画だった。途中で帰ろうと言うロイを引き留めて結局最後まで見たのだが、映画の間中ロイはその黒曜石の瞳をまん丸に見開いてハボックの腕をギュッと握り締めていたのだ。
「まあ、確かに気持ち悪かったっスね。こう、ゾンビが物陰からニュッて顔出して」
 そう言いながらハボックは顔を歪めてロイの鼻先に寄せる。明らかにからかっていると判るその行動に、ロイは顔を赤らめて声を張り上げた。
「だから気持ち悪かっただけだと言っただろうッ!大体幽霊なんてもんはいないんだ。いないものを怖がってどうするッ」
「でも、常識だけじゃ説明しきれないものもあるっしょ?」
「くだらん。そんなものは臆病者の言い訳だ」
 フンと鼻を鳴らしてロイは書類を手に取る。書類をめくっていたロイは、無言のまま上から降ってくる視線にチッと舌を鳴らしてハボックを見上げた。
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「要は大佐は幽霊なんて信じちゃいないし、怖くもないって事っスね?」
「……まあ、そう言うことだな」
「この間の映画は怖かった訳じゃなくて気持ち悪かっただけ?」
「そう言っただろう?」
 念押ししてくるハボックにロイは少しムッとして答える。そうすればハボックがにんまりと笑って言った。
「じゃあ、大佐。肝試ししません?」
「肝試し?」
 思わず鸚鵡返しに聞き返せばハボックが頷く。
「そう。どっか適当な場所使って、夜一人で決められた場所に置かれたもん、取りにいくんスよ。怖がって悲鳴上げたり逃げたりしたらアウト。どうっス?」
 そう言われてロイは肩を竦めて答えた。
「くだらんな。そんな時間があったら本でも読んでた方がマシだ」
「……そんな事言って、大佐、ホントは怖いんだ」
「なに?」
「映画館でオレの腕、必死になって掴んでたもんなぁ。後で見たら大佐の指の痕、腕にくっきり残ってたっスよ」
「ウソつけッ!!」
 確かにちょっとばかり力を入れて掴んでいたかもしれないが、そこまで必死にしがみついた覚えはない。
「無意識ってのが大佐の恐がり度、示してるっスよね」
 だが、ロイの言い分を信じず相変わらずニヤニヤと笑って言うハボックの言葉を聞けば、ロイの中でさして強くもない堪忍袋の緒がブツリと切れる音がした。
「いいだろう、そこまで言うならお前の挑戦受けてやる。肝試しで勝負だッッ!!」
 ロイは椅子を蹴立てて立ち上がるとハボックにビシリと指を突きつける。別段勝負というほどの事でもないんだがと内心思いつつ、ハボックは言った。
「いいっスよ。勝負というからには勝ったときのメリット決めましょう。そうっスね……勝った方は負けた方を好きなように出来るってのはどうっス?」
「いいとも。私が勝ってお前のことをこき使ってやる。覚悟しておけ」
 ふふふ、と腰に手を当てロイは不敵な笑みを浮かべる。
(切れ者のくせにどうしてこう単純なのかな、この人。それがまたカワイイんだけどさ)
 目の前の部下がそんな事を考えているとは露知らず、ロイは自分の勝利を信じて疑わなかった。