ゲッカ
ビジン


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 呼ばれてすぐにやって来たホークアイに今日はもう帰宅する旨了解を得た後、ハボックを待たずに帰宅したロイは、持ち帰って来た月下美人を、夫人から聞いていた栽培方法に基づき、ベランダの日中は日陰になる場所を探して鉢を置こうとして、慌てて部屋の中へ連れ戻した。

「あんな隠すものの何もないところに置いてハボックに発見されたらマズイじゃないかっ」

 ということは、当然ハボックが頻繁に出入りするリビングや寝室などもマズイ。
 ロイは月下美人を隠す場所を求めて、家の中を右往左往した。
 いっそ夫人の元へ送り返そうかとも思ったが、好意で貸し出しをしてくれた彼女や、彼女の夫君であり、ロイに好意的な立場にいる将軍の中央軍における影響力を考えると、とても送り返すなどと礼を欠くことはできない。

「困ったぞ…」

 マスタング邸のハウスキーパーと化している趣きのハボックから月下美人の大きな鉢を隠すのは至難の業に思えたが、ロイはなんとしてでもハボックの目から月下美人を隠し通さねばならなかった。

「くそっ、今私がこんなに困っているのは、すべてハボックのせいだッ」

 去年の今頃、ロイがハボックを伴ってセントラルへ出張した折、かねてより親しくさせてもらっていた将軍の自宅に招かれ、その際に初対面だった夫人から月下美人の話を聞かされ、『そんなに美しい花でしたら、私も是非拝見したい』と、ついいつもの調子で漏らしたリップサービスを夫人が真に受け、後に引けなくなり、開花する時期……つまり一週間程度、夫人が丹精込めて育て上げた鉢植えを預かることになってしまったのだった。

 そして、先ほど執務室でフュリーに聞かれて答えた通り、出張にはハボックを同行させていたので、イーストシティの自宅までハボックに持って帰らせた。
 ついでに世話もハボックに押し付け、自分は開花する一瞬だけを楽しませてもらおうと思っていたところ、確かにロイの自宅のリビングで月下美人はその美しい姿を披露してくれたのだが、残念なことにロイはあまりよく覚えていなかった。

 どうしてよく覚えていないのか。

 何故ならば、ハボックにイタズラされて、花どころではなかったからだ…!!

 一年前、いよいよ頭を擡げた蕾が綻び始め、噂に名高い夜の女王の尊顔を拝せんとロイがリビングのソファから彼女を眺めていると、あの馬鹿犬は何を思ったか女王の御前でロイを押し倒してコトに及んだのだ!
 鉢植えを夫人に返す際の礼状にちょっとした感想を付けたいと思っていたのに、肝心の花の姿はおぼろげにしか記憶になく、ロイが覚えているのはぶっちゃけ、むせ返るような植物の甘ったるい匂いだけだった。

「何が『大佐の方がイイ匂いさせてますよ』だ、あのエロ犬ッ! 私ですら言わんようなことを、今思い出しても悶えるわっ」

 せっかく夫人から預かって開花を楽しみに待っていたのに、突然押し倒された挙句、赤面を通り越して悶絶するようなこっ恥ずかしい台詞を耳元で囁かれ、そして正気に返った時には朝で、すでにしぼんでしまった花を見た時は、本気であのバカの口と股間をピンポイントで燃やしてやろうかと思ったくらいだった。
 結局、去年借りた月下美人はそれから数日に渡って花を咲かせたようだったが、月下美人の開花とロイの休みが合うのがその日しかなく、ろくろく花を見ないまま夫人に返却するハメになってしまったのだった。
 そして今年は、蕾や茎の状態から今日の開花は無さそうではあったが、もういつ開花してもおかしくないとの夫人の言があり、そして今日からロイの勤務は暫く日勤続きで、夜には帰宅できる前提なのだから、一晩見逃しても数日チャンスはある。

 と、思うのだが。

「また押し倒されてたまるか、今年こそきちんと礼状を書くのだからな!」
 そう思って月下美人の隠し場所を探しているロイだったが、浴室も無理、書斎も微妙、納戸に至っては掃除道具を収納しているが故に危険率がハネ上がるとあっては、途方に暮れるしかなかった。

「参ったな…これを返すまで、ハボックを出入禁止にするか」

 それにしても、ファルマンに香りのことを聞かれてようやく思い出すなど、たった一年前の、それも恥辱をすっかり忘れてしまっていたとは、何たる失態、我ながら体たらくにも程がある。
 いや、将軍経由で夫人から再び月下美人貸与の申し出の話が来た時に、何か記憶の端に引っ掛かるような違和感を感じたのだ。だがそれを、花の鉢植えに何の危険があろうかと、迂闊にもスルーしてしまったのだ。
 やはり月下美人を是が非でもハボックから隠さなくてはならない。あのエロ馬鹿スケベ脳内お花畑野郎な奴のことだ、絶対味を占めているに違いないのだ!

「しかし、どこに隠したものか…」
 などと呟きながら、七個ほど蕾をぶら下げている月下美人を前に、ロイは唸った。
 やはりここは錬金術を使って隠すしかないかとロイが思い至った時、重大なことを忘れていたことに気が付いた。

「マズい、ファルマンとフュリーに口止めをするのを忘れてしまった…!!」

 いや、その二人だけではない。
 鉢植えを持って帰るのをホークアイとブレダにも目撃されている。

 せっかくハボックの目に触れぬ内にと思って持ち帰ったのに、ハボックに筒抜けではないかー…!!!!

「ああ、マズった…どうしたらいいか…」
 安易に司令部で受け取ろうとしたことを猛省するも時すでに遅し。
 いや、だがしかし、彼らの雑談に月下美人の話題が上らなかったという可能性も残されてはいる。

 頼むから喋らないでいてくれよ、もうあんな、『大佐のキレイに咲くとこ見せてクダサイ』だの『いっぱい種蒔きできましたネ』だの、うああああ、耳が腐れる…!!!

 ハボックには、急用が出来た為本日の送迎は無用、との伝言を残してきた。射撃訓練から戻ってきて、その伝言を受け取ったハボックは、恐らく後からロイの自宅へ来るだろう。それが最近の二人の休みが重なった時の不文律だからだ。
 どの道、ハボックにバレているバレていないに関わらず、月下美人を隠匿するのが最善だと思われた。

 バレていないならそれでヨシ、バレているのならシラを切り通すまでだ!

 などと、ロイが腹を括ったその時、ロイの自宅の電話が鳴った。誰だと思いつつ受話器を取り上げ、応答した。

『ああ、大佐ですか? ハボックです』
「ハ、ハボック!」
 まさかハボックが電話を寄越すとは思っていなかったので、ロイは不意を突かれた格好になった。
『ご自宅にいらっしゃったんすね。急用が出来たから先に帰るって伝言貰いました』
「あ、ああ、その、…一旦、着替えに家に戻ったのだ」
 壁の時計を見上げると、すでにハボックの退勤時刻も過ぎていたので、こうやって電話をしてきたということは、ハボックの業務も終了し、これからすぐにでもロイの自宅を訪問できる状態にあるということだろう。

 まだ月下美人の隠し場所を確保出来ていなかったロイは、咄嗟に嘘を吐いた。

『これから外へお出掛けですか?』
「ああ。そんなに時間は掛からないと思うが」

 ロイは、会話が不自然にならないよう注意してハボックに応じた。こう言えば、ハボックなら、“じゃあ、ご用が済んだ頃、ご自宅に伺ってもいいっすか?”と聞いてくるはずだ。

『お忙しそうっすね?』

 受話器の向こうから聞こえてくるハボックの声は、最初こそロイを驚かせたが、やはりロイにとって嬉しいものだった。特に、今日はもう二人揃って仕事は終わったのだ。約束はしていなかったが、今夜は二人一緒に過ごすのが当然と、ロイは思っていた。

「ご婦人とデートとかではないぞ?」
『またまた〜。いいですよ、俺なら大丈夫っす』

 ロイは、“私の用事”はすぐに終わるのだからと、ハボックの言葉を待っていた。

『あのですね、大佐』
「なんだ?」
『俺、明後日の昼まで休みなんです。滅多にないことなんで、俺、これからちょっと田舎に帰って来ようかと思ってるっす』
「えっ…」
『たまには顔見せろってお袋がうるさいんスよ。だから、ちょっくら行って来ます』
「………」
『大佐?』
「そ、そうか。分かった、ご両親によろしくな」
『なんもないとこっスけど、何かお土産買って来ます。俺の留守中、ちゃんとメシ食って寝てくださいね』
「分かっている!」
 そして、じゃあ、とハボックからの電話は切れた。

 実家を引き合いに出されたら、勝ち目ないじゃないか…ッ!

 ロイはガチャン!と乱暴に受話器を置いた。
 確かに約束はしていなかった。していなかったが、ハボックはこの休みもロイの家へ来るものだとばかり思っていた。

「……仕方ないか」

 ロイも激務なら、ハボック含めロイの直属の部下達は全員右に倣え状態なのはロイが一番よく分かっていることだった。

 考えてみれば、そんなハボックに食事と風呂の世話に加えて家中の床掃除や窓掃除までさせようとしていたのは酷だったかもしれない。
 一瞬嫌われたかと思ったが、お土産を買って来るといつもの朗らかな声で言っていたので、その心配はなかろうと思った。

 確か、ハボックはこの連休が終われば、遅番や夜勤が続いて、日勤のロイとは暫くシフトが合わなくなる。

 だが、これで月下美人の隠し場所を探すのはしないでよくなった。